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デミアン [鑑賞記録]


デミアン (新潮文庫)

デミアン (新潮文庫)

  • 作者: ヘッセ
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1951/11
  • メディア: 文庫



ヘルマンヘッセ著。

やっと読み終わった。
前半は『車輪の下』にも見られるような叙情的な文章で読みやすいが、後半部分はヘッセが自身と真剣に向き合った結果がさらけ出されていて、多少読みづらい。
というか内容的に読むのが辛いと言ったほうがいいのかもしれない。


--作品について--

戦時中のドイツにおいて、当初は匿名で発表されたというこの作品。
ヘッセの渾身の一作であると同時に、当時のドイツの若者に大きな衝撃を与えた問題作でもある。
ヘッセの作品はこの『デミアン』を境に、自己探求へと深く堀下がっていくことになるのだが、まだ読んだ作品数が足らないので言及は避ける。


--あらすじ--

主人公のシンクレールは、明るく正しい父母の世界と、そうではない、暗く邪悪な世界とのギャップに悩んでいた。
そんなシンクレールが、その狭間をさまよいながらも、真の自己を築くことこそが自身の人生なのだということを確信するまでの過程が描かれている。


--真の自我を求めて--

自分の悪い面を認めることができずに、無意識に否定してしまう、なんていうのは良くある話だとおもうけど、そんな自分も自分自身なんだ、っていうことを認めないことには、何も始まらない。
今現在の自分を受け止めた上で、かくありたい自分であるためにどうしていくべきかを考え、一心に追求することができれば、身分も職業も関係なく、それが自己実現なのだ。

そういうメッセージなんだと理解した。


--感想--

僕は教育、さらに広くは社会にとっての一番大事な課題は、どれだけ多くの人々が自己実現を達成させられるかにかかっていると思っている。けれど、この自己実現というのが非常に曖昧で、しかも現代においてはその価値観がとても流動的になっているので、一人一人の人間自身ですら自分がどうしたいのか本当に分かっている人なんていないのではないかというくらいだ。でもきっと自己実現っていうのは実現したい自己を求め続けることなのではないかと思う。

ヘッセも「どんな人もかつて完全に彼自身ではなかった」と書いているし、「しかし、めいめい自分自身になろうとつとめている。ある人はもうろうと、ある人はより明るく。めいめい力に応じて」と書いている。

僕自身も未だに自分がどうしたいのか分からないことが日常の中でたくさんある。
「かくありたい自分」を探すとともに、そんな自分になるためにできる努力を日々の生活の中でしていかないとなぁ。

ただ、気になったのは、そうやって自己実現への営みに入ることができるのは、「カインのしるし」を持つ覚醒者のみであるという点。
これはある種キリスト教的な発想なのかな?とは思ったけど、本来自己実現への道は誰しもが歩むものであって、一部の「知る人」だけが到達することのできるような境地ではないはずである。
もちろん、シンクレール自体、特別秀でた人物であったわけでもないので、誰しもがシンクレールである、という解釈も可能ではあるが、作品の意図がそうであるとは読みづらい。


--最後に--

「これは!」と思った言葉を。
シンクレールにとって2人目の指導者、ピストーリウスの言葉
「きみを飛ばせる飛躍は、だれでもが持っているわれわれ人類の大きな財産なのだ。それはあらゆる力の根とつながっている気持ちなのだが、いざとなると皆不安になるのだ。ひどく危険だからね!そこでたいていのものはいっそ飛ぶことを断念して、法規に従い歩道をあるくことにするのさ。」

苦労を恐れて無難な方へと流れる気持ちをこの様に言い表してくれるとは。。と思った。


ではでは宿題のスライド作りに戻りませう。
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