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発見! [Cafe]

でっていう、って感じなんだが、普段からよくいくカフェ、Copainには、なんとlivedoor wirelessが届いていることが判明。

これでPC持ち込んでいろんな作業を気持ち良くすることができるようになった。
今もお店からUPしているわけなんだけど。



8月も終わりに近づいて、気温が下がってきてずいぶんと過ごしやすくなってきた。
しかし、今週はずっと空模様が不安定。

青空を見せたと思ったとたん、大粒の雨が舞い降りてくる。

今日もそんな感じの天気で、晴れてるやーと気を抜いた人はたった今降ってきた雨に濡れてる。

人ごとのように店内から街ゆく人、自転車を見ていると思うかもしれないけど、
実は自分も昨日夕飯を買いに行ったあとで帰りに雨に降られてる笑



最近は前よりも雨が好きになってるのかもしれない。

傘さえ持ってれば外歩いても何とかなるし、

なんだか雨って街の汚れっていうか、不純物を洗い流してくれる気がするから。

空気も澄むし(当然湿気はすごいわけだが)。

そして何より、雨が降ってる景色を見てると、自分の心のなんかもやもやしたもの(特に発生源があるわけじゃないけど)もスーッと流れていくような気がして、気持ちがちょっと楽になる。

もちろん気持ちよく見ていられるのは自分が濡れない場所にいるからなんだけどね笑

って言ってたら雨がどんどん強くなってきた。いつの間にか横殴り笑



最近、ニーチェの「道徳の系譜」を読んでる。「善悪の彼岸」を読んでから読むべきだった、ってことに気づいたのがついさっきなんだが笑、なるほどなーって思うことが結構ある。

良いと呼ばれる規範が何から発生したのか、ということや、良心の呵責というものがどういう風に形成されていったのか、ということなど。

まだまだ読みが浅いのでないように触れるのは避けようと思うけど、読んでいて思ったことをとりあえずひとつ。



第2論文『「負い目」・「両親の疾(やま)しさ」・その他』では、良心の疾しさという新しい感情、思考回路の発見によって、人間の行動規範が大きく変化し、そしてその変化は人間にとって大きな苦痛を与えたものである、ということが書かれている。

人間の衝動的な欲求をぶつける相手(=敵)が存在しなくなってしまったために、それらの欲求を自身の中に閉じ込める必要が出てきた。それが良心の疾しさである、という節である。

良心を持たない人間というのが過去のどこかの時代にいたのかどうかは多少議論の余地があると思う(いつから人類は人間らしさ(=道徳?)を獲得したのか、ということ)が、
良心という概念を発見せざるおえないような環境的要求によって発生した新しい感情によって、生まれ変わったといっても過言ではないほど人間の精神構造が大きく変化したというのは話として納得できる。


ともすれば、それは発見する物事の大きさに関係なく、何かを発見するということはそれを知り得なかった自分を殺し、新たな自分に生まれ変わっていると考えることができるのではないだろうか。

わざわざこんなことをいうのは、何か新しいことに触れる、新しい考え方を見つけるということが、その発見がたとえ一見些細でつまらないことだったとしても、自分を大きく変化させうる何かかもしれないということを強調したいためである。



しかし、それには、その発見にこたえようという準備が必要だ。
それが時勢というものなのかもしれない。

能動的に発見した何かも、歴史的に見れば必然であり、そこに大きな一つの「流れ」を見ることができるのかもしれない。

そして、情報化が叫ばれ、インフラの整備が進み、ユビキタスネットワーク・コンピューティングが実現しつつある中で、その「流れ」が来ているような気がするのだ。

それが楽園を実現するのか、はたまた混沌を招くのかはまだわからないが、それが人間の自立と創造的活動を促進するものであるといいなと思う。



そして外は雨がやんだみたいだ笑
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